働き方改革 在宅勤務備忘録 その6 ~社員の評価編

POINT
  • 努力の評価
  • 仕事ぶりが見えない、ということ
  • 今考えられる二つの対応
  • サボりは本当にダメなのか?
  • サボる理論

前回、オフィスにはオフィスでしかとれないコミュニケーションがあり、それが仕事のいろんな支えになっていたというお話をしました。そしてそれを在宅勤務で補うことは(今のところ)難しいと…オフィスでのコミュニケーションがなくなるということ、それはつまり社員が見えなくなるということです。これはオフィスのコミュニケーションの、もうひとつの大事な役割に関係してきます。それは「評価」です。

努力の評価

会社が社員を評価する際には、いろんな評価基準が用いられます。仕事を遂行する能力、物事を判断する能力、先を見据える能力…そのうちに「意欲」や「協調性」も含まれています。もし仮に、あなたの人事考課表にその文字が見えないとしても、いわゆる「仕事ぶり」を評価するバロメーターは必ずみな隠し持っているはず、なぜならそういう風に人はできているからです。仕事の結果も重要ですが、仕事へ取り組む姿勢や態度も同じく重要視してしまう…最近はあまり聞かれなくなりましたが、付き合い残業という文化だって、努力している姿勢をアピールすることが評価につながるから成り立っていたものでしょう。時間をかけて、気持ちを込めて、努力した仕事に価値を与えたくなるのは人の常。また逆に、おざなりな仕事に感じれば、そこに価値を見出せません。「パソコンの修理をお願いしたら、ちょっとボタンを押しただけで直してしまった…これでお金を取るの?」なんてのは、昔からよく聞く話ですね。

働き方改革が進められてからというもの、日本の働き方にも「時短」や「効率化」の文字が躍るようになりました。早く簡単に済むならそれに越したことはなく、無駄な残業は減らしましょう、と誰もが声高らかに叫んでいます。でも本当にそう思っているのでしょうか?心のどこかでは必死に働いている姿勢(ポーズ)を求めているのでは?私は決してそれを否定しません。時間とは誰も平等に与えられた有限の資産、それを費やしてまで取り組んでくれるというのは、それだけで気持ちのこもった、価値のあることなのです。だから私たちはプロの料理よりも家族の手料理のほうが美味しいと感じるし、プロの似顔絵よりも子供の似顔絵のほうが暖かいと感じます(よね?)。それは人として全く正常な判断であるといえるでしょう。

仕事ぶりが見えない、ということ

オフィスのコミュニケーションが失われたことによって、私たちはほかの社員がどのように働いているのかを知ることができなくなりました。すると何が起こるか?人は仕事の「手間」も知りたがります。もうこの際、はっきり言いましょう。「サボってるんじゃないか?」と思ってしまうのです。性悪説だとか信頼がないだとか、いろいろ言いたいことはあるでしょうが、でも思ってしまうものは仕方ない。先ほど述べたように、人は成果と過程のどちらも重視する生き物、部下から二時間かけて上がってきた成果物に対して、「本当に二時間かける必要があったのか?実は一時間昼寝してて、残り一時間で済ませたのでは?」…とまではいきませんが、似たような気持ちを抱くのは仕方のないことです。そう、仕方のないことなので、実はみんな思っているのです。

~テレワークと人事評価に関する調査~(あしたのチーム)
https://www.ashita-team.com/news/20200420-2/

こちらの調査によれば、「テレワーク時に管理職が部下に関して不安を感じること」の1位が「生産性が下がっているのではないか」48.0%、2位が「仕事をサボっているのではないか」32.7%となっています。1位も考え方によっては「サボっているのではないか」に当てはまるような気もしますが…私の言わんとすることは理解していただけたかと思います。何度も言いますが、こう思うのは仕方のないことです。これは部下に対して信頼がないとか、あるいは自分に意地悪な心がある、というようなことではありません。今まで勤務態度を(明文化しているかどうかはさておき)評価のひとつとしていましたが、それはオフィスのコミュニケーションによって支えられていたものでした。それが突然失われようとしているので、不安になるのです。

今考えられる二つの対応

さてこの時、会社がとる対応は主にふたつでしょう。ひとつは、オフィスのコミュニケーション以外で勤務態度を知る、ということ。例えばこまめに勤務報告をする、スケジュールを埋める、といったことです。これはまさに通信のコミュニケーションを用いた方法で、中には社員のPC画面を監視するソフトを導入する企業もあるようで…ですが、私の思うに、通信のコミュニケーションがオフィスのコミュニケーションに代わることはまだ難しく、それをあえて行おうとすると非常に無理が生じてしまいます。もちろん、企業の規模によっては不可能ではないでしょうが、100人、200人とのぼるにつれ、監視に費やすリソースも増えてきます。ただでさえ忙しい上長に部下の勤務状況を監視せよなんて、「仕事してないのはどっちだよ?」と言われても仕方がありません。

そうではなくて、もうひとつの方法、勤務態度を評価軸から外すことを採る会社もあります。在宅勤務に合わせて評価軸の方を変えようということです。そもそも海外では、日本に先駆けて在宅勤務が広く取り入れられていました。そのため世界的な有名企業では、日本ではあまり見られない、ユニークな人事評価システムを採用しているところもあります。そこでグローバル化に合わせてうちの会社も、と…しかし、とはいっても、人事評価システムは一朝一夕に変えられるものではありません。ましてやこの非常時、変えることで起こる弊害だってあるでしょう。もちろん、時代に対応した評価システムを持つのは理想ですが、来るかどうかも分からない在宅勤務の波に備えて、おいそれとできることではないのです。少なくとも顔も名前も知らないオフィスデザイナーにそそのかされる人はいませんね。

サボりは本当にダメなのか?

オフィスデザイナーとして、「あいつ、サボってるんじゃないか?」になにかを言えるとすれば…こうです。「サボって、なにが問題です?」と。私は今までいくつものお客様にリフレッシュルームを作ってくれとお願いされました。またいくつものお客様にリフレッシュルームを作りましょうと提案してきました。さて、「リフレッシュ」と「サボり」の違いは何でしょう?リフレッシュは一時でサボりは長時間?ふむふむ、なるほど。私たちが作るリフレッシュの中には昼寝を想定したものもあります。昼寝ですよ?5分や10分じゃ済みません。テレビゲームを置くオフィスもありました。卓球台を置くオフィスもありました。聞いた話では、オフィスにエレキギターとドラムがあって、そこで社員がセッションをする会社さんもあるそうです。うーん、うらやましい!

私たちがリフレッシュスペースをあちこちに作っているのは、日本の企業を堕落させんと暗躍する悪の組織だからではありません。適度なリフレッシュが仕事の効率化につながると知っているからです。そしてこれはわが社のマル秘情報でもなんでもなく、広く一般的に知られたことでもあります。だから福利厚生に力を入れる企業が増え、よりリラックスできる内装、落ち着ける空間、楽しく自由に働ける働き方が求められるようになっているのです。もしも与えられた仕事をこなさずに冗長な休憩をとって、その上で仕事が終わらなかったとしたら、なるほど確かにそれはサボりかもしれませんね。ですが、しっかりと与えられた仕事をこなしているならば、その休憩はリフレッシュとはなるのではないでしょうか?

働き方は変わりました。以前とある会社の記事で、このようなエピソードを読んだ記憶があります。「仕事がないときに思いっきりリフレッシュする、例えばビリヤードに興じるとかソファで寝るといったことを、わが社では推奨しています。なぜならその人の手が空いているという、これ以上にないアピールになるからです。もし助けが欲しい社員がいれば、すぐにリフレッシュエリアに目をやって、そこで遊んでいる人に声をかければいいのです。」…もしこの会社がリフレッシュを禁止したら、手が空いている人もなにかそれらしい作業をダラダラと続けるでしょう。一見仕事しているようには見えますが、はた目にはわかりません。それはその人にとっても、助けが欲しい人にとっても、そして会社にとってもマイナスです。リフレッシュはできるときにする、仕事がないなら定時でさっさと帰る。暇な人が暇そうにすること、それは私たちが直感するほどに悪いことではないかもしれない、そう考えるきっかけにはなりませんか?

サボる理論

結局、社員を完全にコントロールしようという思惑は、それによって得られるメリット以上の不自由を、社員に与えかねません。不自由とはまさにストレスそのもの。そういったストレスをなくすことがより仕事を効率化するのだというのが、現代の働き方なのです。どうか勘違いしないでいただきたいのは、これは決して性善説でも楽観主義でも、ましてや末端社員の怠惰な願望などではないということ。働き方というビジネスの土台ともなる考え方が、人の感情や心の持ちようといった不確かなものに依ることはありません。確かに一見そのようには見えますが、その骨格はむしろ研究や理論によってガチガチに構成されているのです。

事実、オフィスの歴史は常に生産性のしもべとして歩まれました。とにかく人を詰め込む時代、PCを並べる時代…かつては「24時間働けますか」なんて言われたものですね。そのうち働き方に対する研究も活発になり、そうした研究の賜物として今の働き方、すなわち心身の健康という理念と、ABWという方法が生まれました。当然、生産性向上の名のもとに、です。悲しいことに、ビジネスが人権や人情に与したことは一度としてありませんでした。血も涙もないことですが、結局は社員に鞭打ち、限界まで働かせてダメにしてしまうという働き方は、社会の人権/多様性の尊重の高まりに合わせて、それ相応のデメリット(批判)を被るようになったから廃れたに過ぎないのです。そういうわけで「リフレッシュを促進する」という働き方も、性善説や楽観主義といったふわふわとした理想ではなく、全く鋼鉄の、血も涙もない合理主義によって導かれたものになっています。いやだからこそ、私たちはリフレッシュが生産性を向上させることを知っており、自信をもってご提案できるのです。

例えこのことにご納得いただけないとしても、社員のコントロールが在宅勤務とは溶け合わないことだけは確かです。なぜならコントロールは「業務以外の一切の時間を認めない」という考え方につながりかねません。コロナ以前、そもそも在宅勤務というのは育児や介護といった、主に自宅を長時間離れられない社員が活用していた働き方だったはず、つまり勤務以外の時間があってしかるべき働き方なのです。コロナ後に在宅勤務がどれほど広まるかはまだ分かりませんが、かねてより日本の少子化や高齢化にうまくマッチしていた在宅勤務、おそらくこれを機に選択を望む声が増えるのではないでしょうか。その時に監視やサボり、ましてや社員のコントロールといった発想が残っていると、必ず失敗すると私は思うのです。「電話に出られなかったのは子供の面倒を見ていたからって…本当に?」そんな考えはまさに水と油、在宅勤務の採用を検討するならば、「サボり」に対する考え方は改める必要がありそうです。

さて、今回はリフレッシュに関してお話ししました。わたしたちはついつい、リフレッシュと言えば仕事中にするものだと考えがちですが、仕事から帰ってするリフレッシュだってあります。次回はそんな「帰宅」に関する備忘録を残してみましょう。

WPD/S・O